反抗期で悩んでいる方へ。実はすごいパワーを持つこの4文字「そうだね」から始めてみたい。

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反抗的。怒ってばかりの我が子。

そんな5歳の息子にずっと疲弊していた日々に、

舞い降りたのが「そうだね」という4文字。

この言葉で、私は泣きそうになった。

我が子のレジスタンスに悩んでいる人は、

まずはやさしくこころから「そうだね」と口にしてみたい。

なぜ、うちの子はこんなに怒っているのだろう?

赤ちゃんの頃からカンの強い息子は、少し神経質で繊細なところがあった。

思い通りにならないことには、ずっと怒りをぶつけてきた。

最近の口癖は「違うよ!」「なんで!」「やだ!」「きょうは最低な日だ!」「やってよ!」…などなどだ。

なぜ、うちの子はこんなに怒っているのだろう?

他の子もこんなに怒っているんだろうか。

怒り続ける我が子と対峙しているうちに、疲弊していた。

とある日の夕方。負の怒りのスパイラルが勃発。

園から帰った息子は、

NetflixなりAmazonプライムなり、まずポケモンをみることを日課にしている。

この1エピソードが終わっている頃に食事の準備が済んでいるのが理想なのだけど、

手際の悪い私はたとえ一汁一菜であっても、終わっていることはほぼない。

(どうして?だれか、たすけてー。

20分で3品とかよく言うけれど、野菜切る時間とか冷蔵庫から取り出して戻す時間とかどこ行った!?)

帰ってからシャッターを閉めたり、洗濯ものを取り込んだり

それだけでも10分はロスしそうだし、野菜を切るだけでも結構な時間を要する。

そうこうしているうちに、息子のポケモンタイムが終わった。

お腹が空いていた息子は「ごはん食べられるの、ある?」と聞いてくる。

いつもなら、お味噌汁くらいはできていたりするので、

お味噌汁から食べて貰えばいいのだけど、お味噌汁もまだできていない。

「もう少しでできるよ、もう少し待ってたら食べられるよ」と答える。

すると「なんで!」

「じゃあぼくはどうすればいいの!」

「もう少しでできるよ、もう少し待ってたら食べられるよ」と同じことを言う。

すると、「じゃあ、何かつくる」という。

5歳の息子が何か1品つくってくれるなんて!

子育てと縁遠い人が聞いたら、なんて素敵なお子さんなんだろうと思うはず。

一側面からはそう。

でも、怪我をしないように見ていないといけないし、

こどものステップ+こどもの立ち位置によって取り出したい調理器具や調味料は取れなくなるし

(どいてもらうようにいうと怒る)、

「つくる」と言われた方が、内心疲労がどっと押し寄せる。

そして、なによりうちの息子は今(生まれてからずっと?)絶賛、

怒りの沸点か低い状態のままなのだから。

まず、調理台に手が届かないために、洗面台からじぶんの台を持ってこようとする。

でも、「ママ、とってきて!」と言う。

いま、自分のことは自分でキャンペーン中なので、

「いくらくん、とってきてよ」と言う。

すると、「なんで!」「もう、いやだ!」「最低な日だよ」と怒りながら、

洗面台からステップを持ってくるが、ドアに引っかかったりして、

「なんで!なんで!」とさらに怒りが増している。

ステップを持ってきたところで、

冷蔵庫からいろいろ取り出そうとするが、

思ったものがないようで「あれは?!あれはどこにあるの?!!」とまた怒っている。

怒りながら、ふじっこの煮豆とほうれん草とトマトの3点を出した。

ほうれん草は加熱した方がよいので、

少しだけ見守って「ほうれん草は、火を通したほうがいいよ。茹でるとか、レンジでちんするとか。」

と、助言をするとやっぱり怒りで返してきた。

「もう知らない、いやだ!だったら、自分でやってよ」

やっぱりお腹が痛くなろうと、どんな料理になろうと全部見守った方がよかったかな。

とりあえずレンジでチンしてあげると、

ほうれん草をさわって「熱い!!!」とまた怒っている。

とにかく、すべての行動のたびに怒っている。

私とのコミュニケーションが発生するたびに怒っている。

これはほんの一コマで、これが一日中続いたりする。

疲れた。

とりあえず怒りながら、出しただけのふじっこの煮豆と、

あらっただけのトマトと、チンされただけのほうれん草の料理が出来上がった。

息子の相手をしながらやっていたので、主菜もまだできていない。

怒り続ける息子に、とりあえず自分でつくったごはん食べてていいよ、と伝えた。

怒る息子に、怒りで対応してしまう火に油な母親。

怒りに対して、努めて穏やかに対応しようと努力はしてきた。

でも、なんども怒りの鉄拳を受けていると、ときどき爆発してしまう。

その怒りが、また息子の怒りを呼んでしまい、また負のスパイラルに陥ってしまう。

分かっているけど、怒りが湧いてきてしまう、そんな状態だった。

息子から、久々に優しい言葉が!

これを言うとまた怒ってこられるんじゃないか。

こどもが口を開くと、また怒ってこられるんじゃないか。

そんな気持ちでずっといると、構えてしまって胸がキュッと縮こまるような気持ちになる。

神経がすり減っていくような気分だし、体がかたまってしまっているようだ。

そんな日々が続き、とある日の就寝前のこと。

鈴木のりたけさんの「おならをならしたい」という絵本を一緒に読んでいたときのこと、

いくらくんがとあるページで「これはおならだと思う?」と聞いてきた。

▼鈴木のりたけ『おならをならしたい』
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絵本の中のおならのような描写に、本当におならなのかを聞いてきた。

私は「おならだと思うよ」と答えた。

すると、むすこも眠かったのか、とても穏やかに「そうだね」と言った。

どのくらいぶりだろう?

息子からの共感、全肯定!

いままで息子からの怒りの鉄拳から防御しようと思ってずっと鎧を着ていたが、

そんな心がぱぁーと解放されたような気分だった。

「そうだね」という、やさしくてあたたかい4文字が私の体にじんわり浸透してきた。

私を受け入れてくれた、という安堵感。

私はとても嬉しくなって、

「そうだね」ってすごくいい言葉だね!」と息子に抱きついた。

「おならだと思う」という私の意見に対する共感、肯定。

だけど、ちゃんとした肯定。

私自身を肯定してくれた気分だった。

共感することは、その人自身を肯定すること。

我が子とはいえ、ずっと怒られているのは、否定されているのと一緒。

一挙手一投足、毎日ずっと私自身を否定されているような気分だった。

ずっと、ひりひりと心が痛かった。

でも、「そうだね」という、

たった4文字の言葉だけど私を受け入れてくれたという気持ちになった。

(掘り下げたら、おならに対する共感だけど…)

でも、まてよ。と思った。

もしかしたら、息子も同じだったのかもしれないなと思った。

息子の言動に対して「そうだね」というように、まず肯定できていたか。

どの育児書にも「共感」が大事、受け止めることが大事だと書いてあり、

それを意識はしてきたが、「そうだね、でも〜○○(←正論)」と、

「でも〜」の部分ばかりを急いて伝えていたのかもしれない。

だから、息子自身、自分を肯定してくれていないような気分になって、

より怒りが湧いていたのかもしれない。

「そうだね。」

私はまず、この言葉を使うことを意識したいと思った。

おとなもこどもも、肯定されてはじめて素直になれる。

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