友達を叩く。他害の究極の心得にたどり着く。

問題行動

叩くなど、他者に危害を加える行為を他害と言う。

2歳や3歳など、言葉ではうまく伝えられない年齢ではよく頻発するこの行為。

うちの子は6歳になっても嫌なことがあったとき人に手が出てしまっていた。

悩み続けた結果、ある人の一言でフッと肩の荷が降りた。

究極の心得、ここにあったか!と。

叩く行為が問題になった3歳児クラス時代

うちの息子いくら君は、嫌なことがあったら、

お友達を噛む、たたく、引っ掻くなどがあり、先生からたびたび呼び出しを受けていた。

これが問題になったのは保育園時代の3歳児クラス(年少)のとき、

それからずっとこの問題に悩んでいる

2歳児の頃も1歳児の頃ももちろん、誰かを叩く行為はあった

でもそれは、うちの子だけではなく、他者との関わりを学び始めた子どもには割とよくあること

この頃は、まだ言葉での表現がうまくできないことも多く、子どもは言葉よりも手が出てしまう。

保育園でも、「今日○○ちゃんから叩かれちゃって、ごめんなさい」と、

先生たちはとにかく保護者に謝っていた。

3歳児クラス(年少)になると、言葉もまあまあ扱えるようになり、

ここからだんだんと手が出なくなる子が多くなってくる。

私の感覚では、3歳児クラス(年少)が

叩くなどの他害が目立つか目立たないかの分水嶺になる気がしている

3歳児クラス(年少)で全く叩かなくなる子もいると思う

でも、みんながゼロになるわけではないと思う。

ただ、ここで目立つかどうか、といったところだ。

案の定、うちの子は目立った

とにかく、嫌なことがあると言葉ではなく、手や口(噛む)という行為に出た

お迎えのとき、先生から何度も呼び止められることになる。

そして、保護者面談のときに、市の「発達相談」を勧められた。

市の発達相談へ行くと、療育を勧められることになるのだけど、

これはまた別の機会にでも書きたいと思う。

少しずつ叩く行為が減ってきた、4~5歳児(年中〜年長)時代

それから幼稚園に転園し、

市の発達相談サービスや幼稚園の先生方と連携して

声掛けを忍耐強く続けることで少しずつ叩く行為が減ってきた

「少しずつ減っている」、年長にあがっても、そういう実感だった

ある日、幼稚園で「今日いちにちで、2回お友達に手を出した」と報告があった。

どうやら同じ年齢の子と遊びたかったのに、年下の子が遊ぼうと言ってきたことが嫌だった、らしい…。

口で言えばいいのに…。

おとななら、いろいろと対処法が思いつくんだけど。

そしたら、先生は久々に一度、うちの息子にちょっと真剣に怒ったそう

でも、先生に怒られた後、すぐに本棚を押したということ

それで、別の先生にも聞いてみた。すると、手を出すことはある。という。

焦る!年長クラスでは手が出る子はほぼいないらしい

よく聞くと、夏に酷かったけど、今はそのときよりもよくなっているらしい。

頻度を聞くと「1週間に1度あるかないか」だという。正直、想像以上に結構多いと思った

年長になると手を出さないのが当たり前になってくるなか、息子が手を出すとちょっとざわつくそうだ。同じクラスで手が出てしまうのは我が子だけではなさそうだが、2〜3人くらいと少数派のもよう

小学生になったら手を出したらもっとざわつく存在になるだろう。

その前になんとかしないと。他害をゼロにしないとダメだ。

他の子たちにも迷惑だし、なによりいくら君が煙たがられ孤立してしまうと脅迫的に思ってしまっていた

本当に胸が締め付けられるような思いだった。

目から鱗!手が出ることより押し黙っていることの方が問題らしい

翌日、市の発達相談に行ったら、ちょっと目から鱗のアドバイスをもらった。

発達相談の方
発達相談の方

「手が出るよりも、家でじっと何もいわず縮こまってしまう方が問題。

困りごとを吐き出せている。それはいいことだ」

……と。

お友達とのトラブルの際、手が出てしまうのは客観的にはよくないけど、いくら君からみたらちゃんと気持ちを出せる手立てがあること

たとえば、先生に嫌だったことを言えたり、家に帰ってそれを伝えられたり、嫌な気持ちや困った気持ちを出せる環境であることがまず大事だと言ってくれた。

確かに、息子は長い目で見たら、噛むことはなくなっているし、一度我慢できるようになっているし、成長はしている(成長は螺旋状だけど)。

成長しているのだから、無理に他害をゼロにすることに固執するのではなく

まず吐き出せる環境であることをいいこととして、他のポジティブをのばしてあげようと思った

いろいろとトライしてきた過去。タイムアウトもやった

たとえば、その他害に着目して、問題行動を消去することにコミットしてタイムアウトを多用したとする。

すると、〈叩いた→タイムアウト〉 〈叩いた→タイムアウト〉と、

なんだかずっとタイムアウトばかりをしていることになってしまった過去がある

本人もその問題行動に注目してしまうようになり

行動がそこにフォーカスして言動がネガティブになったりしてしまった

いじけて「生まれてこなければよかった」「ママの名前わすれちゃった」などと言ってきた。

そういう思考に引っ張られると、負のスパイラルに陥ってすべてがうまくいかなくなる。

そこをグッと我慢してタイムアウトをし続けると他害は消えるのかもしれない。

でも、私はそれ以上はできなかった。

外では頑張っているのだから、家でも頑張るのは息子からしたら大変なことなのかもしれないと思った。

ある程度はわがままと思われることも許容しなければいけないと思った。

多少対応に親が疲弊しても、家が安全基地であること。

これが子にとっては大事であり、長い目でみたら、健全に育つ。

発達相談の方がいうように、嫌なことを息子なりの方法で外に出せているのは、

最悪ではない、と思った

そのときの問題行動をゼロにすることに躍起になって、園でも家庭でも厳しくしていたら、そのときの問題行動は一時的に減ったとしても、きっと自己肯定感が下がる。

その方が複合的にいろんな問題が起こってくる、とそのときの私は思った。

子の問題行動に疲弊しそうになるが、ここはスルースキルで乗り切るしかない。

それが将来的に、自分の首を閉めないための方法だと思った。

正解はわからないけれど。

他害。究極の心得。もう友達に嫌われてもいいじゃないか

世間のものさしで見ない。

確かに年長は一般的に手が出ることはなくなっているのかもしれない。でも、この子の成長でみたら、実際に我慢ができるようになっているのだからヨシとした

(発達相談センターで聞いたのは、小学生でも手は出る。だんだん、成長とともに怒りやもやもやの流し方がわかってくる。スポーツで発散とか)

まずは、「手を出すのはダメ、口で言おう」とかなり真剣に約束したので、それを見守ることにする。そして、嫌だと思ったときの代替方法をもう一度教えようと思った

息子がもう叩かなくていいよう、嫌なことがあったときにやる代替行動として以下の3つを約束した。

  • 1、先生にいう
  • 2、その場を離れる
  • 3、家に帰ったときに嫌な気持ちを伝える  ……など

そして、程度にもより相手に怪我をさせてはいけないし軽視はできないけれど、

他害して嫌われてもいいじゃないかと吹っ切れた

嫌われてもいい、息子が自分の殻に閉じこもっていなければそれでいい。

また友達に嫌われる経験が、やらないということを学ぶのだからと達観して思うことができた

親は他害というと、とてもとても苦しい。煙たがれる様子を見たりしたら、本当に胸がいたい。

でも、そこは肝っ玉母ちゃんになって、嫌われてもいい。そこで学べばいい。という気持ちも大事なのではないか。

あとは、絶対的に親が味方になること。いやだった気持ちを一度ちゃんと受け止めてあげられること。

手が出るよりも、
家でじっと何もいわず縮こまってしまう方が問題。
困りごとを吐き出せている。それはいいことだ。

他害の問題で苦しくなったとき、この言葉を思い出したい。

今日の発達相談で、他害という行動だけにフォーカスしていたけど、なんだかすっきりとした気持ちになった。

また明日から、頑張ろう。

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