すぐに怒る、引っ込み思案、落ち着きがない……。
子供の性格、なんとかならないかなと、そんな風に思っている親がいるなら。
反対に見てみてほしい。
〈引っ込み思案〉→〈思慮深くて想像力が豊かな優しい子〉。
そう考えると、あなたの子供はとっても素敵な子になる。
乱暴な息子を、「情熱的」と言ってくれた保育士さん
息子は赤ちゃんの頃からよく泣き、さまざまなことにとても敏感で癇癪も多い子だった。
母親が離れるとすぐ泣き、3度の食事はいつも気に入らないことがあるといつも食器をひっくり返され、食材は投げつけられた。
1歳児クラスで保育園に入り、保育園でもよく泣いていた。
2歳児クラスにいたとき、息子の乱暴さ加減に私はほとほと疲れ果てていた。
嫌なことがあったり、思い通りにいかないとき、園でお友達を噛んでは先生から連日報告を受ける日々。
そんなとき、3月末にクラスの担任の先生が退職することになって、最後その先生に感謝の気持ちを伝えたときのこと。
ちょっと乱暴で、1年間本当にご迷惑をおかけしてすみませんと伝えたら、先生はこんな風に返してくれた。
「いくらくん(←息子)は、情熱的なんですよ」と。
その言葉をきいて、ハッとした。ずっと悩んでいた子どもの性質は、避難すべきことばかりじゃないんだと思った。
実際先生は、母親の私がいつも謝ったり、悩んでいる様子をみていて勇気づけようと思って言ったのだと思う。
2歳児クラスはまだ赤ちゃんに毛が生えたようなもので、自分の気持ちなんてコントロールできないというのはある。
それでも、うちの息子は他の子よりイヤイヤも多く、人よりよく手も口も出ていた。
本当にじぶんのこどもの癇癪やトラブルで日々苦悩していて、正直にこにこしている他の子どもがうらやましくなったりしたけれど、「情熱的なんですよ」というこの言葉を聞いてじぶんの子供が少しだけ肯定された気がした。
そして、涙がにじんだ。
癇癪やイヤイヤは、反対側からみてみれば、自分のやりたい何かの意思があるということ。
それも、手や口が出るほどの強い思いがあるということ。
なんにも意思がないより、いいのかもしれないと100歩ゆずって思えた。
これらの気質は、すごくよく言い換えれば「情熱的」なのだ。
情熱は生きるエネルギー、将来何かを成し遂げるエネルギーにもなる。そういう気質をもった人間だと考えられる。
目の前のことだけを見てそのまま捉えれば、問題ばかり。
でも、反対側からみてみれば、素敵なことも見えてくる。
黒は白になる!性格に悩んでいる親は「反対」から見てほしい
「長所と短所は表裏一体。短所を消そうとしないで、長所を伸ばそう。短所を消そうとすると、長所も消えてしまう。」
かつて、私が尊敬している人が私の結婚時に伝えてくれた言葉。よい夫婦関係を築いていくための助言だった。
これは、子育てにもよく当てはまる。
子育てしていると、問題行動や課題ばかりが目についてしまい、いいところはあまり記憶に残らない。
親として、一人前の人間に育てたいと思えば思うほど、いいところは当たり前だと考えてしまい、課題はクリアしなければならないこととして頭に焼き付いて離れない。
そして、悩み続ける。
でも、悩めば悩むことがあるほど、その事実を一旦反転してみたい。
〈乱暴〉→〈エネルギーがある、情熱的、元気〉
〈泣き虫〉→〈素直、優しい、感受性が豊か〉
〈神経質〉→〈細やかなことに気が付く、洞察力や注意力がある〉
どの子も、素敵な子に仕上がった!
思考法に、リフレーミングやクリティカルシンキングがあるが、それに近いと思う。
息子5歳。まだまだ怒っているが、保育士さんが「いいこと」だと言ってくれたそのワケとは?
5歳になった息子は、まだまだ怒っている。
ゲームで負けを認められない。
ひどいときは、かるたで誰かに1枚取られるたびに絶叫していた。
成長過程で誰もが直面する課題ではある。でも、1枚とられる度に絶叫は本当にきつい。
家族内でやっていればまだいいけど、お友達やお友達の親なんかも一緒だともうそこは地獄絵図。
勝負事のゲームで負けを認められないことを相談すると、ベテラン保育士さんが言ってくれた。
「悔しがるのはいいこと。やりぬく力になる。」
子によっては、負けてもあっけらかんとしている子もいるそうだ。負けの悔しさを乗り越えてその域に到達したのではなく、最初からそういう子も少数いるらしい。
うらやましい性質だが、執着する気質はうまく育てばやり抜く力になる。
素敵さはいつもどこかに。敏感すぎる子は、この言葉をみて!
現在5歳。他の子に手を出すような暴力性はなくなったけど、心配なことや課題はたくさんある。敏感で繊細なところはまだまだ。
新しいことにチャレンジしにくかったり、不安が強かったり心配性な息子。
人がたくさんいる公園に行くのが恥ずかしい、いつもと違う服をきている、いつもと違うバッジをつけている自分をお友達に見られるのが恥ずかしい。などなど。
敏感すぎるというか、不安が強いというか心配性というか、極度の恥ずかしがり屋というか、親の私からしたら本当に謎な思考なのだけど、ある日、web記事からこんなフレーズを見つけてまたホッとした。
「失敗したら恥ずかしい」
「できなかったらどうしよう」
と先のことも心配できるということは、
考える力が育っている証拠!
そういう子は感受性が豊かで優しくて、
本当に素敵な子どもだと思います。
▼「失敗を恐れて挑戦しない子は どうすれば意欲がでるの?」https://enfant.living.jp/upbringing/tokusyu/17966/
公立保育園の園長で、「あふれるまでの愛をそそぐ 6歳までの子育て(カンゼン)」
など子育て関連の著書を多く出版している本吉圓子さん監修の記事。
記事自体は、簡単にいえばそんな小さなことは大丈夫だと一蹴してくれている。
怖い不安だという気持ちは受け止めて「お母さんはわかってくれる」という気持ちをまずは持たせること。
その受け止めてもらえたという安心の土台があれば、いつかは挑戦していくというもの。
その記事の中に出てきた、フレーズが本当にまたダメな母親を救ってくれた。
また、とっても勇気をもらえた。
感受性が豊かでやさしいのだ、と思えることができた。
やっぱり、どんなことにも輝くものはある。
人はどうしてもネガティブなところに目が行きがちになる。でも、こどもの言動に苦悩していればしているほど、その気質の反対側をみてみるといいのかもしれない。
その反対側の気質も強く持っているということなのだから。
まとめてみる。とんでもない子が、とても素敵な子になった!
A:こだわりが強くて神経質で乱暴で、でも挑戦しない消極的な息子。
↓
B:意思がはっきりしていて情熱的で、考える力があり、感受性が豊かで優しくて素敵な息子。
全然違う。
でも、AとBの息子の言動はまったく同じ。
対峙する課題も全く変わっていない。
でも、親の頭でどう捉えるか、で心の持ちようが変わる。
子育てに対する重荷も少し軽くなる。
こどもにどういう目線を送るか、表情をおくるか。
そんなこと子供に伝わるのか?と思うかもしれないけど、たぶん伝わっているのだと思う。
その注がれる視線が変われば、また、数年後も変わるような気がする。
どう見るか、自分のこどもをどう信頼するかで、数年後まったく違う人間に成長しそうだ。
私は、これをメモして、常に子供と対峙することにした。
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